2007年06月09日

大日本帝国憲法 概要

大日本帝国憲法 概要
この憲法は、立憲主義の要素と国体の要素を併せ持つ欽定憲法であり、立憲主義によって議会制度が定められ、国体によって議会の権限が制限された。

憲法改正後は、
憲法学者らによって外見的立憲主義、王権神授説的と評された。



立憲主義の要素

立憲主義の要素としては、次の諸点がある。

* 言論の自由・結社の自由や信書の秘密など臣民の権利が、法律の留保のもとで保障されていること(第2章)。

これらの権利は、天皇から臣民に与えられた「恩恵的権利」とされた。日本国憲法では、これらの権利を永久不可侵の「基本的人権」と構成する。また、権利制限の根拠は「法律ニ定メタル場合」「法律ノ範囲内」などのいわゆる「法律の留保」、あるいは「安寧秩序」に求められた。この点も、基本的人権の制約を「公共の福祉」に求める日本国憲法とは異なる。但し、現憲法の「公共の福祉」による制限も法律による人権の制限の一種であり、現在教育の現場で解説されるように「旧憲法のそれは非常に制限的であり、現憲法のそれは開放的である」とする程の本質的な差はないとする意見もある(但し、比較的な傾向としては肯定する)。その立場からは、「人権が上位法の憲法典の形で明文で保障された」点に第一の意義があり、また内容としては当時においてはかなり先進的なものであったとする。

* 立法権は帝国議会に、行政権は国務大臣に、司法は裁判所に配され、三権分立の体制を整えたこと。
* 帝国議会を開設し、衆議院は公選された議員からなること(第3章)。

帝国議会は法律の協賛(同意)権を持ち、臣民の権利・義務など法律の留保が付された事項は帝国議会の同意がなければ改変できなかった。また帝国議会は予算協賛権を有し、予算審議を通じて行政を監督する力を持った。

* 天皇の行為に国務大臣の輔弼を必要とする体制(大臣責任制または大臣助言制)を定めたこと(第4章)。


内閣や内閣総理大臣に関する規定は、憲法典ではなく内閣官制に定められた。内閣総理大臣は、国務大臣の首班ではあるものの対等な地位とされ、国務大臣(各省大臣)に対する指揮監督権や任免権もないため、明文上の権限は強くない。しかし、内閣総理大臣は機務奏宣権(天皇に裁可を求める奏請権と天皇の裁可を宣下する権限)と国務大臣の奏薦権(天皇に任命を奏請する権限)を有したため、実質的な権限は大きかった。

* 司法権の独立を確立したこと。

司法権は天皇から裁判所に委任された形をとり、これが司法権の独立を意味していた。また、欧州大陸型の司法制度を採用し、行政訴訟の管轄は、司法裁判所にはなく、行政裁判所の管轄に属していた。この根拠については、伊藤博文著の『憲法義解』によると、行政権もまた司法権からの独立を要することに基づくとされている。



国体の要素

国体の要素としては、次の諸点が挙げられる。

* 「天壌無窮ノ宏謨(てんじょうむきゅうのこうぼ)」(御告文)という皇祖皇宗の意思を受け、天皇が継承した「国家統治ノ大権」(上諭)に基づき、天皇を国の元首、統治権の総攬者としての地位に置いた。この、天皇が日本を統治する体制を国体という。


天皇統治の正当性を根拠付ける国体論は、
          大きく二つに分けられる。

一つは起草者の一人である井上毅らが主唱する国体論(『シラス』国体論)であり、もう一つは後に高山樗牛、井上哲次郎らが主唱した国体論(家秩序的国体論)である。井上毅らの国体論は古事記神話に基づいて公私を峻別し、天皇は公的な統治を行う(シラス)ものであって、他の土豪や人民が行う私的な所有権の行使(ウシハク)とは異なるとする(井上「古言」)。

これに対して高山らの国体論は、当時広く浸透していた「家」を中心とする国民意識に基づき、「皇室は宗家にして臣民は末族なり」とし、宗家の家長たる天皇による日本(=「君臣一家」)の統治権を正当化する(高山「我国体と新版図」、『太陽』3巻22号)。憲法制定当初は井上毅らの国体論を基礎的原理とした。


しかし、日清戦争後は高山らの国体論が徐々に浸透してゆき、天皇機関説事件以後は「君民一体の一大家族国家」(文部省「国体の本義」)として、ほぼ国定の解釈となった。

参照 - 「皇室典範に関する有識者会議」第7回の鈴木正幸・神戸大学副学長による説明



* 天皇が、天皇大権と呼ばれる広範な権限を有したこと。

特に、独立命令による法規の制定(9条)、条約の締結(13条)の権限を議会の制約を受けずに行使できるのは他の立憲君主国に類例がなかった。なお、天皇の権限といっても、運用上は天皇が単独で権限を行使する事はなく、内閣(内閣総理大臣)が天皇の了解を得て権限を行使する状態が常であった。


* 帝国議会が立法機関ではなく、
    天皇の立法協賛機関とされたこと。


議会は立法協賛組織であり、法律制定には天皇の裁可と国務大臣の副署が必要であった。天皇には、緊急勅令や独立命令を発する権限など、実質的な立法に関する権限が留保された。また、帝国議会に憲法改正の発案権がなかった。

* 帝国議会の一院に、公選されない貴族院を置き、
         衆議院とほぼ同等の権限を持たせたこと。
* 枢密院など、内閣を掣肘する議会外機関を置いたこと。

このほか、元老、重臣会議、御前会議など、
     法令に規定されない機関が多数置かれた。

* 統帥権を独立させ、
   陸海軍は議会に対し一切責任を負わないこと。

統帥権は、慣習法的に軍令機関(陸軍参謀本部・海軍軍令部)の専権とされ、シビリアンコントロールの概念に欠けていた。統帥権に基づいて軍令機関は帷幄上奏権を有すると解し、軍部大臣現役武官制とともに、軍部の政治力の源泉となった。

後に昭和に入ってから軍部が大きくこれを利用し、陸海軍は天皇から直接統帥を受けるのであって政府の指示に従う必要はないとして、満州事変などにおいて政府の決定を無視した行動を取るなどその勢力を誇示した。


* 皇室自律主義を採り、皇室典範などの重要な憲法的規律を憲法典から分離し、議会に関与させなかったこと。


宮中(皇室、宮内省、内大臣府)と府中(政府)
   の別が原則とされ、互いに干渉しあわないこととされた。

もっとも、宮中の事務をつかさどる内大臣が内閣総理大臣の選定に関わるなど大きな政治的役割を担い、しばしば宮中から府中への線は踏み越えられた。


posted by 戦中・戦後から平和を at 08:35| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 大日本帝国憲法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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